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学長コラム

平成22年度入学式の「学長告辞(要約)」を掲載しました

2010年05月29日 土曜日 / カテゴリー 学長コラム

平成22年度の大学・短大・大学院の入学式が、4月3日(土)に挙行されました。

つきましては当日の山内学長の「学長告辞」(要約)を掲載いたします。

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新入生諸君ご入学おめでとうございます。

 現在日本で、一人の子供を大学に進学させるための経済的負担は大変なことと察し、その中で、旭川大学の理念と教育に信頼をお寄せ頂き、保護者の皆様にはこうしてお子様を入学させて頂き誠にありがとうございます。

 旭川大学学長として、本学の理念と教育目標の元に、新入生の自己実現への道を全力を挙げて支援していくことをお誓い申し上げます。

 またご来賓におかれましては、本学の日ごろの教育活動に、熱心にご支援・ご声援を頂いておりますことに深く感謝申し上げます。

  

 旭川は今年開基120年になります。はじめに先住民族アイヌの人たちの豊かなコタンがありまして、その開基のときの人口は5,000人ほどだったと言われています。それから10年ほど後の明治31年、旭川裁縫専門学校という、塾のような女子教育の裁縫学校が誕生し、創られたのは澤井兵次郎さんという方でした。
 大学のルーツをずっと辿ると、開村間もない旭川に一つの塾を創り、女子の人生に手に裁縫という技術をつけることにより自立を促そうとした、いにしえの教育家の姿が浮かび上がって来ます。ルーツがそこにあることを、私どもは誇りにしております。
 本学はそれ以来理念を、「地域に根ざし、地域を拓き、地域に開かれた大学」とし、地域のオンリーワン大学として、いまここに確かな歩みを続けています。

 この「地域」ということの意味については、これから様々な講義などで色々と耳にすると思いますが、私どもは地域というものを、どういう風に振返り再活性し、再創造していくか、ということ。その地域には豊かな生活共同体があり、その生活共同体というのが今、危機にあるという認識のもとに、大学を運営しています。

 地方の根が枯れて来ていますが、これはそこに住む人々の多様な生活がもたらした文化の、相互交流が無くなるということです。

 今の日本はどんどん地方の根が枯れて来ており、いかに幹と葉を茂らせても、そこに花は咲かないという状況があり、そのなかで本学は、地域を理念として、地域にこだわっています。

 私が本学に奉職した時に一人の農業経済学者、広澤吉平先生という教授がおられました。「この上川・旭川は、もともと米が取れないところだが(お米は南の作物だから無理なわけです)、旭川・北海道の農民は、少ない夏の暑さを圧縮して捉えることによってお米を作ることに行き着いた。このことによって上川100万石という、”北海道の米”というものを作り上げた」と聞かされ、これは非常に示唆に富んだ話であり、それは言うまでもなく大雪山系の雪と、石狩川の水系がもたらした本当に美しい、人間と人間の労働そして、自然の恵みとの見事なコラボレーションと捕らえることができました。

 さて今年の新入生は、一番遠いところでは徳島県阿波町、外国では韓国・中国・ネパールなどから迎えています。旭川大学は地域に開かれて、地域をずーっと掘っていくと、それは世界にもつながっています。当然地球の運命と、地球に共に生きる市民(韓国もネパールも)も皆私たちと同じ、このガイアの中に生まれ、同時代を生きる友人たちと言えるでしょう。 

 本学の先生方は情熱と愛情と忍耐を持って、この世界中から来た皆さんと、正面から付き合いたいと思っています。

  

大学というところには、皆さんにとって3つの意味があります。

  1 点 目       

 大学は出会いの広場-様々な人間・様々な地域・様々な文化を背負った人間たちが出会うところです。この出会いの中で、相互の理解を進め、理解して受け入れて、共に支えあって生きて行く、このことをコミュニケーション能力と言いますが、この能力をいま世界中でキーコンピテーシー、世界共通の最も大事な学力であると言われています。

人とコミュニケーションするということは、人を理解しなければなりません。そしてまた自分の個性・自分の意見・これをまた表出する行為でもあります。

そしてコミュニケーションは言葉はもちろん、言葉以外に表情やしぐさであり、携帯電話とは違うコミュニケーションをしなくてはなりません。今日は会いたくない、電話には出ないでスイッチ切っておこう・・・では困るのです。

私たちは、人間とフェイストゥーフェイスでコミュニケーションする力、それは根源的に生きる力につながるだろうと思っています。

従って、大学はあらゆる意味で出会いの広場であるということに心掛けください。そのためには自分の心はオープンでいなければなりません。色んな出会いを楽しんでください。韓国の人・中国の人・ネパールの人へ、「こんど夏休み行くからねっ」ていう形で、うんと楽しんで下さい。

なお当然ながら情報教育研究センターには最新の情報機器も揃っていますので、そこでは世界中と交流しコミュニケーションしてください。また図書館に行くと、非常に古い外国文献から最新の様々な図書まで、数万冊の本が君たちを待っており、勿論これもまたミュニケーションです。

そういう出会いが大事ですので、まず自分の心をオープンにして、大学による学習支援の下で、なによりも学生同士や教職員と、又あらゆる形で、この広場の中でコミュニケーションを磨いていただきたいと思います。

  2 点 目     

大学は「愛と真理」というものの探求の門であるということです。近代の大学は10世紀から11世紀にかけ、大学の発祥の地といわれるイタリアのボロニャで、「世界中から真理を学びたい、今自分はなにものなのか、どこからきてどこへ行くのか」そうしたことの探求のため、若者たちが世界中から集まって来て、その頃は修道院、教会、司祭や僧侶たちが、たくさんの知識を蓄えていて、そこで様々な交流をしながら共同組合を作り、そして教師に給料を払って作り上げられたのが、大学のはじまり、ウニベルジタスなのです。一つの方向に向かって歩く人の集団という意味になりますが、それは「愛と真理」と私は理解しています。

大学は今までの勉強とは違い、同じ真理にしても、皆さんが今までしてきた勉強は、受験勉強やテスト勉強に象徴されるように、基本的には暗記つまり知識詰め込み型が多いでしょう。

明治維新は何年ですか、次の中から選んでください。1867年です。これはクイズに出てくるでしょうが、しかし大学の勉強はそうではありません。

明治維新はなぜ起こったのかを、次の内から選びなさいということではないのです。そこを考えるんです。どういった背景があったのか、土佐藩というのはなぜあの構造があったのか、あの中で、郷士という下級武士はどういう存在であったのか。それはどの程度経済力があったのか。日本をとりまく外国の、世界の情勢はどうであったのか。そうしたことを総合的に考えて行かなければ明治維新がなぜ起こったかに迫ることはできません。まさにそれを大学というところは考えるのだと知ってください。

 もちろん考えるためのツールとして基本的な知識、パーセントぐらいはすぐ出せなければなりませんし、相関係数ぐらいは考えなければなりません。そして一定の知識がなければ、看護やコミュニティの学生には国家試験がありますので、そういった意味で知識もとても大事ですが、根本はその意味で真理に迫るということです。

 「つながっている生と死を、反対語だと我は教えり」これは中学校の国語の先生が作ったうたですが、生の反対は何でしょう。死と書けばマルがもらえる。死の反対には生と書けばマルがもらえる・・・。けれど大学では、本当に生きるということはどういうことか、死とは何かと究めていくと、生と死というのは、その境目に何があるのか。そこで人間の精神はどうなるのか、人間という存在の根本的な誇り、尊厳、最後に何が残るのか。こうした事について考えなければなりません。従ってこれ迄のような、剥落する-試験が終わったらぱーっと全部忘れてゆくような勉強であってはならないのです。ですからそこは根本的に、私たちが「真理の探究」と言いたいのはそこのところなのです。

 そして現在私たちは、愛というものを必要としています。愛というのは、臭くてキザな言葉です。でもそれとしか言いようが無いので申し上げると、今地域が枯れてくると言いましたが、日本は現在3万人もの人が1年間で自殺する国でこれが12年続いています。警察で自殺と認定された人が3万人で、本当は自殺であっても事故と見做された人々を含めると、5万人ともいわれています。

今勉強する、大学で真理を探究するという意味は、フォーファット何のためなのか、というところを私たちは問わなければなりません。従って愛と真理の探究は、当然そこに一定の知的好奇心そして価値の選択、価値を選んでゆくということを意味しています。

20世紀最大の社会学者であるマックスウェーバーが「神々の闘争」と言っています。価値の世界。みんな一人一人が神を持ち、神様が争っている状態、価値の世界は神々の闘争です。そのなかで一旦そこを禁欲し、すぐこれが正しいと言わず、一旦目的と結果を、もう一度手段と因果関係を探求することにより、つまり理解社会学Ich verstand es-わたしは理解した、アルキメデスならユリイカ-分かった、というようなことが出てくるのです。

 そのプロセスを皆さんは、講義やゼミナールで学びます。本学の最も大きな特色の一つ、そして全国の大学の中でも一番誇りに思っているのが、「ゼミナール一環教育体制」です。マンモス私立大学では絶対ありえない、1年次からの、多くても10人が教員を囲み、そこでは様々にディスカッションします。なお看護では看護研究になりますが、様々な問題について色んな意見を戦わせ、そのなかで鍛えられてゆく訳です。

従ってある意味では、愛と真理の探究とは「道場としての大学」と申し上げても良いでしょう。

  3 点 目     

やはり最後は、大学は君たちの人生、君たちの自己実現、セルフリアライゼーション、君たちの人生の陶冶。これを専門的職業人或いは完成された市民教育の最後の場として、そして21世紀のこの地球社会の平和を担う大人として、社会人として、君たちを陶冶して行きたい、と考えています。そのために教職員は全力を挙げて、皆さんと付き合いたいと思っています。

 どうか旭川大学をうんと利用してください。大学のあらゆる人的・物的資源は、べすて君たちのためにあります。そのなかで外国語ひとつぐらいはマスターし、パワーポイントも自在に操って下さい。

と言いつつも、最後に大学はかけがえのない青春の場であり、ふざけた季節です。金はない、 だけど時間はたっぷりある。いや演習や実習がきつい科目では時間はたっぷりないかもしれませんが、それでも君たちは若いから、体力があるから、時間を生み出すことができるはずです。

好きな趣味に没頭してもいい、旅をしてもいい、無中でスポーツに打ちもむのもいいんです。胸のときめきの出会いもあると思います。様々な意味で、やっぱり青春の広場でありますので、楽しんで下さい。

 どうか君たちの2年間、或いは4年間、それぞれの季節をどうか自分なりの物語を刻めるよう願って、永山のキャンパスは明日から君たちを待っています。

どうぞ力一杯、旭川大学の中で自己実現への道を歩き始めるための、その基礎をしっかりと学んでいただきたい。自分で自分をプロデュースして下さい。

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