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齋藤ゼミ

延世大学(韓国)の学生と日韓関係について議論をしました

2015年10月16日 金曜日 / カテゴリー 齋藤ゼミ

20150923_1035142015年9月23日に経済学部齋藤ゼミナール(異文化間教育学)の教師希望の学生4名が韓国の延世大学の学生と日本の植民地支配と日韓関係についてskypeを通じて議論をしました。齋藤ゼミの学生たちは2013年11月と2014年10月に、韓国のアジアの平和と歴史教育連帯という草の根の市民交流活動を目指すNPOから派遣された韓国の大学の先生の出張講義を受講しています。その御礼ということで担当教員である齋藤がソウルにある延世大学で出張講義を行いました。

今回は3週間前に(株)帝国書院の『社会科中学生の歴史』の第4章第4節「ぬりかえられたアジアの歴史」(pp.178-9)および第5章第2節「植民地支配と抵抗」(pp.212-3)を資料として配布しました。学生たちたちは9月14日のゼミの時間と16日の特別ゼミの時間を利用して自分たちの意見をまとめました。また延世大学の学生たちは韓国語訳を読んでコメントを提出してくれました。双方の意見の概要は以下の通りです。

【延世大学の学生】

・歴史の叙述において、選別的な選択は避けられない。しかし、歴史的な事実に対する一貫した合意が不在である東アジアにおいて、事実の選別が誰によって、どのような基準で行われるかは、とても政治的でセンシティブな問題である。

・„翻訳資料の日本の歴史教科書を読み、これまで私の認識が間違っていたことに気づいた。叙述は帝国主義の支配を客観的に扱おうと努力しているようであり、また、学生たちに自国の歴史について考えさせようと努力しているように垣間見える。

・教師がこれ(=教科書)をどのように教えるのかによって、学生たちが深く考えてみることもできるし、むしろ植民支配について肯定的に考えることのできる危険も依然あるようにみえる。

„・日本の教科書は、過去の彼らの過ちをできるだけ少なく記述し、第3者の立場から日本の帝国主義をみつめているという感じを強くうける。

・帝国書院の教科書の叙述は、歴史的な事実を歪曲せず、過去についての美化がない点は、肯定的に受け止められる。しかし、帝国主義日本の暴力性及びそれによる現代の領土問題と関連した歴史的問題についての叙述の不在は、えてして誤った歴史認識を呼び起こしかねない。

【齋藤ゼミナール】

・„日本のやったことはひどい。だからきちんと反省すべき、と多くのゼミ生が思える。やはり教科書は良く出来ていると思う。しかし興味を持てない、自分の事として捉えられない生徒や学生がいるのも事実。教職希望者としてどのように働きかけていくのか。在日の高校生が「知ってほしい」と言っていた。両方の歴史を照らし合わせて「意識」するのが大事。

„・(僕らも)決して考えていないわけではない。教科書の内容はバランスが取れているように思う。韓国の教科書は片方からの見方しかしていないのではないか。逆に原爆や沖縄戦、日韓基本条約によって日本が計11億ドルにおよぶ国家賠償をしたこと、それが韓国経済の発展の基盤になったこと、ヴェトナム戦争での韓国軍が起こした事件を韓国の教科書ではどのように扱っているのか。(略)(歴史は解釈の問題なので)どれだけ広く見ていけるのか。それが大事だと思う。

・„反省、反省と求めるものではない。1993年の河野談話、1995年の村山談話、2005年の小泉談話で日本は痛切な反省を述べて明確に謝罪している。謝罪はやはり相互理解に進むためであって、そろそろ謝罪を越える時期ではないのか。

・„日本の学校では通史でやっている。膨大な学習内容を扱うために十分な時間が取れない。だから過去の日本の加害についてあまり学習していない。この議論になると上から一方的に押しつけられるようで感情的に受け入れられない。

これらの意見を踏まえて学生たちは90分間お互いに相手を尊重しながら率直に意見を交換しました。以下はその議論に参加した学生たちの感想です。

【延世大学の学生たち】

・日本人学生のコメントには全体的に共感できる。理由は、多くの日本の人々が反省していると思うからである。例えば、平和憲法の改正などの事態があった際に、市民たちが反対の意思を表明してデモなどに参加する姿などを見た。

・教科書問題に関して言えば、韓国においても一定の問題を抱えていると思う。例えば、ベトナム戦争などの史実に関しては歴史教育の中で、十分な反省がなされていない。教科書というものが抱えている問題を総体的に考える必要があるのではないか。

・日本の学生のコメントを見てひとつ疑問に思ったことがある。果たして日本の人々は、アジア人として、アジア人という枠組みの中でその当事者性(当事者意識)というものをどの程度持っているのだろうか。

・単純に考えて、戦争がひとたび起こると日本の人々もそれなりに過酷な状況に置かれていたのではないか。韓国も民族的な教育を受けているので全体的に感情的な次元で話をしてしまうことが多い。この問題について感情的に話してしまう韓国人をどのように日本人は見ているのだろうか。

・日韓で状況はもしかすると似ているかもしれないが、韓国の状況を少し話すと、学生にとって歴史の授業が試験のためのひとつの科目に過ぎないという側面もある。試験のために覚えるという過程で、歴史をただ覚えることに終始している。共同での教科書作りなどの動きもある。学校の歴史教育を通じて、それぞれの多様な立場に立って歴史問題を考えることができるような教育現場が実現されればいい。そのためには政府レベルでの努力も必須である。

齋藤ゼミナールの学生たちは9月29日のゼミで延世大学の学生たちの意見を共有しつつディスカッションを行いました。その時に出てきた感想です。

・前の世代が行ってきたことを私たちはやはり知らないのだと思う。日本人は被害者意識が大きいように思う。まず冷静に過去を知ることから始めたい。

・徴用問題などは、現代社会の問題(ブラック企業や不安定な雇用等)とつながりがある。このような社会状況で私たちは加害者にも被害者にもなりえる。私たちと関係のない出来事ではない。社会をきちんと知るべきである。

・これまでは学校で習ってきても漠然としたイメージでしかなかった。今年は終戦から70年である。将来の社会科教師としてやはりきちんと学びなおさなければならない。

・韓国の学生たちから激しく非難されると思っていた。これは偏見に過ぎなかった。

・韓国の学生は本当のところどう思っているのだろう。憲法9条についてよく知っているのに驚いた。それもあって気を遣ってくれたような気がする。

・安全保障法制に対する反対デモを日本の反省の表れと好意的に解釈してくれた韓国の学生もいるが、私はあれは「戦争に行きたくない」という意識であって、反省とは関係ないと思う。

延世大学のキム先生からは過去の事実について互いに知るだけではなく、歴史を見つめる感情の差異を感じ、相手をすこしでも理解する事の大切さに気付く授業だったという内容のコメントをもらいました。私も率直に議論できたことは高く評価したいと思います。しかしこのつながりはまだスタートしたばかりであり,今後どのように展開していけるかが課題だと思っています。

長い文章になってしまいました。最後まで読んで下さった方々に感謝します。繊細な問題だけに極力誤解されないようにと思ったらこの長さになってしまいました。

最後になりましたが、このような貴重な機会をくれた「アジアの平和と歴史教育連帯」の李民榮氏,スタッフの済藤智香氏,朴三憲先生(建国大学)、キムソンボ先生(延世大学)に心から御礼を申し上げます。また参加してくれた延世大学の約30名の学生たち、そして齋藤ゼミナールの皆さんに大きな拍手を送りたいと思います。

ありがとうございました。

 

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