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齋藤ゼミ

10月24日から25日までゼミ合宿を行いました。

2015年11月16日 月曜日 / カテゴリー 齋藤ゼミ

014cb5443177e31449aae35053499330969d1fea5f 017b9958538a01d03ee01fadf23d71b8822cd787192015年10月24〜25日に平取町およびむかわ町でフィールドワークを行いました。今回は戦時中の総動員体制の下で日本人,朝鮮半島出身者,中国人の労働者多数が犠牲になった辺富内線敷設工事跡をめぐりました。この工事は振内にある八田鉱山から貴重な金属であるクロムを搬出するために1941年に着工されました。苫小牧駒澤大学の石先生によれば多くの労務者が繋がれて工事現場まで連行されていく様子に加え,遺体を焼却する煙が毎日のように安住の墓地から上がっていたこと,戦争末期には焼却もできずに労務者の遺体が道端にそのまま放置されていたといった証言が得られたそうです。  24日は土曜日でしたが午前中に講義がある学生がいる為,午後1時に旭川大学を出発しました。平取町の宿舎に着いたのは午後5時過ぎでした。早速全員で集まってディスカッションを行いました。私たちはこの合宿に先立って幌加内町の旧光顕寺にフィールドワークをしました。その際には犠牲となった方(日本人の方のようです)の御遺骨に対面しました。そこで「徴用犠牲者の遺骨をめぐって考えること」というテーマで議論をしました。2時間以上議論をしましたが,非常に難しいテーマであったために,自分たちとしての答えは出せないままでした。2日目は平取町内の振内(ふれない)共同墓地,幌毛志隧(ほろけしずいどう)道(どう),富内(とみない)墓地,旧栄駅跡周辺を歩きました。墓地には過酷な労働のために故郷に帰れずに亡くなった方々を弔うためと思われる無縁仏の碑などがありました。労働者は十分な食事を摂ることもできずに過酷な労働させられたそうです。その過酷さに耐えられずに,トンネルを掘る際には自ら人柱(トンネルの基礎をしっかり固めるためにトンネルの中に生き埋めにされる)になることを選んだ労務者もいたそうです。

これらの徴用の事実は町史にも記述がなく、学校の教科書でもあまり触れられることがないので知っている人は少数でしょう。しかし私たちは過去にこのような労働によって犠牲になった多くの方々がいることを忘れてはならないと思います。私たちはこれからもっと日本の歴史について深く知る必要があると思いました。朱鞠内と平取のFWを通して、私たちは日本の教科書には記述されていない、知ることのできない歴史を学ぶことができました。過去と現在,そして未来は繋がっていています。過去から目を背けずにしっかりと考え「歴史を引き受ける」ことは私たちが生きている現在,そして未来をより良くしていくことに繋がります。簡単に答えが出せないことだからこそ,色々なことにアンテナを広げて、多くのことを学び,そして地道に考えていきたいと思います。

 

齋藤ゼミナール 2年 木村駿斗 亀井紳之介

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